『トランスジェンダーを生きる 語り合いから描く体験の「質感」』を読む
第1部 理論編
第1章
第1節
用語の整理
第2節
古代〜江戸の日本
近代日本
性別越境行為の犯罪化
西欧の精神医学の影響
ユダヤ教、キリスト教的世界観
現代日本
双性原理の変形として受け入れられていると著者は見るcFQ2f7LRuLYP.icon
第3節
ラカンの仮装とおとしめ
第4節
2章
2節
第3節
ここでの筆者の具体例の描写は極めて重要だと思われるcFQ2f7LRuLYP.icon
卑近な例として,数年前のことであるが,家庭教師のアルバイトに向かう途中の筆者の「体験」を挙げてみよう。その日は,子どもたちの両親が仕事のため,彼らの祖父母の家へと向かっていた。その道中,乗っていた電車がちょうど人身事故を起こし,急停車をした。筆者は祖父母宅に連絡しようにも,子どもの母親のLINEの連絡先しか知らなかったため,遅れる旨の連絡ができなかった。そのような事態のまま,筆者の焦る気持ちをよそに,時だけが経過し,予定時間よりも1時間半ほど遅れる形でその家に向かったことがあった。この体験を,客観(主義)的に見れば,列車の人身事故による「遅刻」という出来事により,筆者に「焦燥感」が生じたといった程度のこととしてまとめられてしまうだろう。
だが,筆者が「体験」していたその時の「焦燥感」は,他の場で感じる「焦燥感」-たとえば,学位論文がなかなか書き進められない,などというときの「焦燥感」-とは,様相を異にする。家庭教師先に遅れてしまうと焦っていたときの感覚は,今すぐ、にでも自分の身体は走り出したいのに,駅と駅の中間に列車が止まったために下車もできない歯痒さ,こうした事態を想定して事前に連絡先を聞いておくべきであったのにという自責の念,今すぐ、には自分自身の力ではどうしようもできない感じ,筆者が来ると思ってきっと待っているであろう子どもと,おそらく夕食の具材も多めに買ってくださっているその祖父母に対する申し訳なさといった独特の「感じ」を伴った「焦り」であった。